膨大な名刺を管理したいならば無料で利用できる名刺管理ソフトがおすすめ

営業の仕事をしていると毎日のように名刺交換をするので、膨大な数の名刺で探すのに困るという人も多いと思います。しかも探そうとすると見つからないというのもしばしばです。そんな時に便利なのが名刺管理ソフトです。無料で利用できるフリーソフトも数多くあるので、自分に合ったソフトを選んで使うことができます。名刺管理ソフトを選ぶポイントは、やはりすぐに起動することができて、操作も簡単で、すぐに探せるというソフトです。
名刺は、紙に印刷されたものでありますから、デジタルデータではありません。数多くの名刺を受け取る場合、何かのソフトに入力していくとなれば、名刺管理は、大変な作業となるでしょう。この場合、スキャナに取り込んで、文字列を編集できるソフトを見せてもらったことがあります。名刺の汚れなどによって、うまく文字列を認識できない場合もあり、その都度修正しなければなりませんが、とても便利な名刺管理の方法との印象を持ちました。
政府が27日、北朝鮮住民27人を西海(ソヘ、黄海)上を通して送還する過程で、北方限界線(NLL)が南北(韓国・北朝鮮)間の海上境界線として作動した。

統一部によると、韓国海洋警察庁はこの日昼12時55分ごろ、延坪島(ヨンピョンド)付近のNLL線上で住民を5トン級木船に移して北に送り、北朝鮮海軍の警備艇1隻はNLL北側海域に待機して住民を引き受けた。

先月5日、この木船の機関故障と濃霧で南側に流されてきた北朝鮮住民31人(男性11人、女性20人)のうち、亡命を希望した4人を除いた27人が50日ぶりに北朝鮮に帰った。

政府当局者は「北側が船舶と住民を引き受けた地点はNLL線上の座標である北緯37度41分25秒、東経125度36分57秒で、これは北朝鮮が南北間の海上境界線がNLLだという点を明らかに認識していることを示すものだ」と述べた。

北側は板門店(パンムンジョム)を通した送還協議過程で南側が提示したNLL線上の座標に対し、いかなる異議も提起しなかったという。

当局者は「08年2月に2つのゴムボートに分かれて乗り、南側に下りてきた北朝鮮住民22人は、翌日に板門店を通して全員が北に送還された」とし「北朝鮮が今回異例にも海上送還にこだわり、NLLが南北海上の境界線であることを自ら認める態度を表した」と付け加えた。

北朝鮮は昨年11月、延坪島砲撃などでNLLを認めないという態度を見せ、3回の西海交戦など軍事挑発を通してNLL一帯を紛争水域化しようという意図を見せた。

北朝鮮は99年9月、NLLの無効を主張し、いわゆる「朝鮮西海海上軍事境界線」を一方的に宣言した。NLLよりはるかに南側に引いた北朝鮮の「海上分界線」は、ペクリョン島や延坪島など西海5島を自らの海上境界線内に入れている。島の住民は狭い水路を通ってのみ南に下りられるようになっている。

しかし59年11月に発刊された北朝鮮の朝鮮中央年鑑はNLLを海上軍事境界線に設定した地図を含んでいる。北朝鮮は官営朝鮮中央通信の報道や発刊物を「共和国の公式立場」と強調している。84年9−10月の対南水害物資提供の時も、軍艦で構成された南北の護送船団がNLL船上で会って引き渡した。92年に締結された南北基本合意書不可侵付属合意書10条は「海上不可侵境界線が確定するまで海上不可侵区域は双方が今まで管轄してきた区域とする」と規定し、NLLの効力を認めた。

北方限界線(Northern Limit Line)=韓国戦争(1950−53)終戦直後の53年8月30日、国連側が韓国艦艇・航空機の哨戒活動で限界線を引く目的で設定した海上境界線。北朝鮮は73年10月、西海上の南北衝突直後に開かれた軍事停戦委で初めて問題を提起した。

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 中国石油化工集団公司(シノペック)董事長兼総経理の蘇樹林氏が、黄小晶氏の後任として福建省に就任することが濃厚となり、「60後(1960年代生まれ)」の高官がまた一人新たに誕生する。聯合報網が伝えた。

 蘇樹林氏はこのほど福建入りし、黄省長と職務引き継ぎを行い、省政府は近く省長交代について正式に発表する予定。満65歳を迎えた黄省長は定年退職する。

 現在49歳の蘇樹林氏が省長職を正式に任命された場合、国内で6人目の「60後」正部級高官(大臣クラス)となる。これまでに正部級高官に任命された「60後」は、内モンゴル党委員会の胡春華書記、吉林省委員会の孫政才書記、湖南省委員会の周強書記、中国商用飛機公司の張慶偉董事長、共産主義青年団中央の陸昊・第一書記の5人。

 2002年の「十六大」後、中国共産党最高指導部の10年ごとの総入れ替えが制度化している。来年秋に行われる「十八代」後には、「50後(1950年代生まれ)」の習近平氏と李克強氏が胡錦涛総書記と温家宝総理の後をそれぞれ引き継ぎ、共産党第五世代指導部が構成される見通しだ。そして、同世代間の出世競争の先頭を切って走る「60後」の高官の6人が、習近平・李克強両氏の後継者として党第六世代指導部トップの有力候補となるのも当然のことと見られる。

 評判の高い他の5人と比べ、 蘇樹林氏に対する国民の印象は比較的薄い。これは、蘇氏が長い間、石油畑一筋に歩んできたことによる。

 蘇氏は1962年3月、黒竜江省克東県のごく平凡な農家に生まれた。14歳の時に父を亡くし、母は6人の子供を女手一つで育て上げた。小学4年生になると、毎朝早起きしてフンを拾い集め生産隊に持込んで小銭を稼ぎ、生活費の足しにした。家族は彼を大学に通わせるため必死に働いた。

 1983年に大慶石油学院を卒業した蘇氏は、大慶油田で技術労働者の職に就き、油田の安定生産の鍵を握る技術課題の解決に取り組んだ。1995年、参与したプロジェクトが国家科技進歩特別賞を受賞、個人的にも中国石油天然気総公司から初の「世紀を越える学術・技術リーダー」の1人に選ばれた。

 1999年、蘇氏は中国石油本部高級管理層に入り、大慶石油管理局局長を兼任、2004年には中国石油高級副総裁に就任した。彼に近い人によると、中国石油天然ガスパイププロジェクトのどの現場にも、必ず蘇氏の姿があったという。その勤勉な業務態度から生まれた業績は素晴らしく、東北の大慶油田業務が長い寅年生まれの彼に、「東北のトラ」という異名が付けられた。

 一般庶民の家庭で生まれた蘇氏は、自分は農家出身であることと、大慶油田の石油労働者であるという自覚を忘れることはなかった。このような経歴を持つ彼は、農民と労働者が「何を最も必要とするか」を十分理解している。また、「大慶人」特有の苦しみや辛さに耐え抜く力や勇気をもって事を起こす精神は、彼の中で消えることは無い。

 蘇樹林の貧民精神は、「指導層は基底層・民衆の中に深く入れ」という党トップの方針とぴたり一致している。「60後」高官の中で彼に白羽の矢が立った原因は、ここにあるのかもしれない。(編集担当:松本夏穂)

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